白鳥映雪 日本芸術院会員・日本画家。1912年長野県小諸市に生まれる。すぐに母と死別。伊東深水の美人画に生母の面影を感じ画家になる決意をする。1932年丸山晩霞の紹介で伊東深水門下になる。1943年「生家」で文展入選、1950年「立秋」で日展特選・白寿賞を受賞。同年、伊東深水、児玉希望、奥田元宋、佐藤太清等とともに美術研究団体・日月社を立ち上げる。1957年に「ボンゴ」で2回目の日展特選・白寿賞を受賞。1986年「寂照」で日展内閣総理大臣賞を受賞。1994年「菊慈童」で恩賜賞と日本芸術院賞を受賞。1997年に日本芸術院会員となる。日展参与、日展顧問等を歴任。2003年勲三等瑞宝章を受章。伊東深水から継承された美人画の他、尼僧や能楽を描き独自の芸術を確立。厚塗りで200号クラスの代表作は見る者を圧倒する迫力があり、首相官邸や衆議院議長公邸に飾られる。2003年に脳梗塞により右手が動かなくなった状況を克服し左手で絵を描く。その様子はNHKの全国放送で特番として放映され多くの障害者に勇気を与えた。その他各局で白鳥映雪の番組が制作される。長野冬季オリンピック誘致にはサマランチ会長に美人画を贈呈し話題となった。小諸高原美術館・白鳥映雪館に作品が常設展示されている。2007年永眠、享年95歳。 |
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伊東深水の美人画を継承した白鳥映雪 |
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| 昭和7年に画家を志して上京した頃。 兄弟、親戚の人たちと(中央が白鳥映雪) |
下積み時代の下宿での制作風景。伊東深 水門下となり一流画家を目指す。 |
上京してまもない昭和10年代。20代のまだ 大志を抱き暗中模索の時代の頃。 |
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| 歯科技工士として働きながら画家を目指し ていた。大森の池田歯科医院に働く。 |
昭和15年に従軍画家として中国戦地に約 1年行く。李王殿下への献上画を制作 |
深水の美人画に母の面影を慕い制作に没 頭。深水門下の逸材として注目される |
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| 昭和25年、出世作となった「立秋」の下絵 の前で。日展特選と白寿賞を受賞。 |
昭和21年から4年間、師匠深水と小諸で行 動をともに。後継者としての地位を築く。 |
昭和32年「ボンゴ」で2回目の特選、白寿賞 を受賞し一流画家になった頃。 |
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| 伊東深水の美人画を継承し、東京や長野 など各所で個展を開催する。 |
東京世田谷の自宅の庭で。故郷の千曲川 の畔をイメージした造庭にて。 |
日展審査員の時代。師匠の伊東深水とと もに上野の日展会場に入るとき |
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| 昭和40年代、師匠亡き後、独自の女性像 を目指す。東京のアトリエにて。 |
子供好きだった白鳥映雪。未来ある子供達 に芸術を通じ創造力を指南していた |
昭和48年に故郷小諸にアトリエを構える。 白鳥芸術の完成を目指し制作に没頭。 |
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| 生まれてすぐに母と死別、そして愛娘を失 う。この頃から尼僧などを描く昭和50年代 |
盟友の奥田元宋と。師匠深水と元宋の師 匠児玉希望も盟友同志、日月社を結成。 |
平成4年日展出品作「羽衣」の制作風景。 能楽の世界を見事に表した作品と絶賛。 |
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| 画題と対話しながら絵を描くといわれていた。 アトリエでのそんなワンシーン。 |
平成5年「菊慈童」で恩賜賞と日本芸術院 賞を受賞、天皇皇后両陛下の御前にて。 |
平成10年に完成した小諸高原美術館・白 鳥映雪館内で。作品が常設展示される。 |
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| 白鳥映雪の生涯を追ったテレビ番組が制 作される。信州南相木村でのロケ風景。 |
平成15年に病で右手が使えず車イス生活 に。左手で描く様子は全国放映された。 |
病を乗り越え画壇に復帰、日展会場で当 時の小泉首相から激励を受ける。 |