昭和18年 生家 文展入選作
モデルは海軍士官の弟。昭和7年に上京して苦節11年、従軍画家として中国に渡り帰国後、一流画家としての第1歩を踏み出す。結婚して長女が誕生し新居を澁谷に構える。六畳一間の生活空間での制作、生まれたばかりの長女が絵の上に乗り踏み抜いてしまう。あわてて修復して搬入した苦肉の作品。文展入選の報に接し近くの氷川神社におまいりする。拝殿の奥の灯火が自分の行くすえにともった希望の光のように見えたという。生家が入選したことで白鳥映雪は深水門下の逸材として注目されるようになる。


昭和25年 立秋 日展特選・白寿賞
終戦後、昭和21年より師匠の伊東深水が白鳥映雪の故郷である信州小諸に疎開する。内弟子として4年間、制作助士から身の世話まで師匠に仕える。その努力が大輪の花として咲いた作品が立秋である。東京三越の屋上に和服、洋服、中国服を着た女性を配した作品は、戦後の日本を国際的にまた女性の時代を感じさせる作品として反響を呼び、舞踏家の五条珠美が日本舞踊の演題として使い話題にもなった。師匠の伊東深水は弟子の快挙を我ことのように喜び、数多い門下生の中より白鳥映雪を後継者に任命した


昭和32年 ボンゴ 日展特選・白寿賞
昭和32年2回目の日展特選・白寿賞に輝いた名画。昭和30年代の日本画壇の新風の空気に呼応し描かれた本作品は色面分割という洋画の技法をとりいれた画期的な作風となり話題となった。情熱的にボンゴを打つ南国女性。青、茶、黄の色面分割と光と影をくっきりと直線的な所作律動で描ている。しっかりとした構成の確かさと色あせない画風は今見ても新鮮である。冒険と挑戦を重ね創意工夫の中で新境地を目指した白鳥映雪の制作意欲を感じる作品である。


昭和61年 寂照 日展内閣総理大臣賞
画題をより精神性に求め、外見的な女性美から内面的に美しい女性美を描いた仏門シリーズの代表作。名古屋の禅寺で自ら厳しい修業をし出家したばかりの尼僧を描く。半眼の表情で禅を組む尼僧の背景に金の観音様が見える。わずかに開く襖はいまだ悟りの途上であることを意味している。目先の生き方に終始する現代女性の中にあって自己研鑽し道を求める女性は宝石のように尊いと画伯はいう。天皇皇后両陛下がご鑑賞された作品でみずから絵の制作意図をご説明申し上げている。



平成5年 菊慈童 恩賜賞日本芸術院賞
恩賜賞・日本芸術院賞を受賞した白鳥映雪の代表作。前年の「羽衣」でその芸術性の高さを満天下に示した白鳥映雪が満を期して制作に打ち込んだ力作。観世流の能楽、不老不死の長寿の童の物語が画題となっている。制作にあたり使命感と責務感を胸中に抱き制作した様子を自伝にて綴っている。白鳥芸術の最高峰として評価された本作品は衆議院議長公邸に展示され、また天皇陛下在位10周年記念特別展に展示されるなど我が国を代表する絵画としての評価がある。



平成4年 羽衣 首相官邸展示
かつてこれほどまでに能楽の世界を見事に描いた作品はないと絶賛された作品は首相官邸に展示された。三保の松原に舞い降りた天女の物語・羽衣は派手な能の一つとして有名。はこびは摺り足、彫刻の立像のように動く独得の仮面劇が見事に描かれている。特に白装束の緻密さは 白鳥映雪でしか描けない芸術の高さと技量を感じさせてくれる。伊東深水の美人画に憧れ、女性像を描いてきた日本最高峰の人物画家が自分のほれ込んだ能楽の世界を描き見事なまでに表現している。


昭和45年 池畔
小野小町ゆかりの京都随心院にある小さな池を背景に初々しい舞妓を描いた作品。日展出品作として初めて美人画と同じモチーフを描き伊東深水の後継者としての技量を印象づけた作品。生母の面影を慕い美人画を志した白鳥映雪。昭和45年作の本作品はそのきっかけとなった師匠伊東深水への敬意と美人画を継承していく決意が込められている。2年後の昭和47年に亡くなった伊東深水、この作品を見て美人画の後継者ができたことを確信し安心したのではないかと思う。


昭和49年 琉球ようどれ廟
沖縄を舞台にした力作。浦添城址にあるようどれ廟、太平洋戦争の舞台となった沖縄は琉球王が眠る墓をも破壊。沖縄返還とともに修復されたようどれ廟、神秘的な内部が公開された。その記事に興味をもち沖縄を取材する。神秘の壁画を背景に忽然と現れた琉球王女を描く。2年の歳月をかけ完成した本作品は本物の壁画のように厚く塗られ迫力ある作品となっている。また従軍画家として中国戦地を回った白鳥映雪の平和への深い祈りが込められた作品でもある。


昭和56年 やすらぎ
昭和55年暮れ長女の美映子さんが亡くなる。深い悲しみの中で描いた作品は白鳥映雪の愛娘に対する深い愛情と鎮魂祈りが込められている。手にしたアジサイは娘の好きだった花、天空の部屋に永遠にやすらぐ空間を描きそこに娘の魂をとどめ何もしてやれなかった後悔の念を鎮めるため本作品は描かれた。人生のさまざまな苦境を全て絵画に託してきた白鳥映雪の不屈の魂を感じる作品である。この作品以降、より精神性の美しさを求めた画風となっていく。


平成13年 はるかな刻
宇宙の大海原に砂の粒のようにちりばめられた星々を背景に笛を奏でる和服姿の女性。急峻激浪の画業人生を歩んだ白鳥映雪は遥かな歳月をかけ独自の女性像を完成させた。美人画から始まり、踊り子、バレリーナ、伝記女性、尼僧、演奏家などを画題とし、集大成として能楽の世界を描き再び原点である和服姿の女性を描く。作品にはその長い年月を重ね到達した独自の女性像が体現されている。まさに白鳥芸術の到達点といってもよい作品である。



平成10年 十八の舞妓
能楽作品を描き続ける中、能面を手にする舞妓を描いた。この年に故郷の小諸に白鳥映雪の作品が常設展示される小諸高原美術館が完成した。舞妓のモデルは自分を生んでくれた母、顔も肌のぬくもりも知らず23歳の若さで死別した母に想いを込め制作された作品。画家として出世した報告を故郷に眠る母に伝えたい思いがあったのだと思う。手にした能面を見つめる舞妓に現世で共に過ごせなかった母への思いが込められ刹那的な白鳥映雪の心が伝わる。


平成14年 幻影
夕照のさざ波を黄金色に映し悠然と舞う老武将は白鳥映雪本人ではないかと錯覚する。彼方に幻影する二人の女性、一人は生母であり一人は亡くなった長女、女性を描き続けてきた中で心底に祈り意識してきた二人、年輪を重ねてもまだまだ理想の絵画を追求する姿が金箔の画面より静かにほとばしる。黄金色の絵画にもかかわらず派手にならず静まる静寂感があり崇高な白鳥芸術を感じさせる名画である。本作品は右手で描いた最後の大作となった。


平成3年 浄幻
昭和38年 合習
平成6年 葵の上
昭和42年 潮韻
昭和31年 波止場
昭和58年 序曲
昭和59年 浄韻
平成11年 追憶
平成2年 浄心
昭和26年 黎明
昭和54年 那覇にて
昭和50年 幕間
平成12年 惜春
昭和30年 夜の湖
昭和51年 夕影
昭和47年 掌
昭和62年 悠韻
平成7年 新晨
 
   
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